今日はいいお天気

甘いものは好きだったけれど、体のために、極力食べ過ぎないように心掛けなければと思うようになった。加齢に伴い、体の老化を加速させないために、必要になった。でも、春になると、甘いものが目に入るようになると、つい自分に甘くなってしまう。おいしいものは、甘いのだ。だから、食べ過ぎないように、ちょっとだけ、食べようと思う。鳥の声が聞こえるようになると、春も本格的になってくるらしい。外の変化は、まず、日差しの明るさ、鳥の声、気温の順なのだそうだが、本当だなと感じる今日この頃である。そろそろ、散歩にでも行きたくなる季節到来だ。

小学生のときは、小説家か先生になりたかった

どちらも、実現しなかったのですが、将来の夢は学校の先生か、小説家でした。学校の先生は、当時、身近な存在で、子供たちと楽しく過ごせそう、た。小説家は、自分の本が未来に残ればいいなと思ったからでしょうか。今だから、言えますが、若いときは、あさはかにも、将来のことを真剣に考えなかったために、実現することはなかったのか、興味をなくしたからか、そのどちらの職業にもなっていません。自己実現を職業としてかなえることの難しさを、いま改めて、実感しています。

 これからの人生は、可能な限り、自分の望む姿にしていければと思います。

日曜の朝思うこと

世の中、お金を意のままにする権力者がえらい時代だが、わたしは、そういう経営者、政治家でもない身から、偉そうなことを言って申し訳ないが、そういう人達に、あえて言わせてもらえば、信頼されるためには、どんな人にも、正直に自分事として相手の立場で考えることだと思う。常に逆の立場だったら、どう思うか。行動できるのかである。偉い人には、その視点がとても大事だと思う。ようするに、いやなことを率先してできるかだ。自分は陰に隠れてぬくぬく私腹をこやしているのに、相手の人生をないがしろにしてはいけない。人間みな平等に幸せになる権利があるから。人を使う立場の人は、神様から、正直に人をだまさず相手を尊重し謙虚に生きることを、人生で学ぶチャンスを与えられて生まれてきたと思う。争いや、いじめ、弾圧、強い立場の人が、弱いものに与える試練だ。これらは、弱い人が、強くなるための試練であるが、逆に言うと、強い人が、やさしく、相手を思いやる心やいたわりの心をもつことの大事さを学ぶ機会である。人には、神様から平等に幸せに生きるために、それぞれの課題を与えられて生まれてきているのだから。人に信頼され、信頼できる人がいることが、人間の幸せにつながる道になる。かく言う自分も、まだまだ道半ばである。

 

名ばかりのテレワーク

去年のことですが、いらいらすることがあり、我慢の限界でテレワークということになりました。自分勝手な自分の身内にこき使われることに、疲れてしまいました。しごとを辞めたいといっても、やめさせてもらえず、もんもんとする毎日で、苦しんでいます。この際、開き直って、通信講座で好きなことをやろうとしましたが、おかねのいることなので、なかなか決断もできず、気が晴れるのを、ただ待っている今日この頃です。いやなことが忘れられる方法あったら教えてほしいくらい、頭から離れず鬱々する毎日です。暗い自分の性格が嫌になりますが、心配性、神経質な性格は、そう変わりません。傷つきやすい性格なので、なかなか、他人とつながることもなくて、家族とだけの日々です。楽しく人生を生きていく方法、少しずつ自分に正直に生きていければ見つかるかなと思って、頑張ります。新年早々、重くなりましたが、今年もよろしくお願いします。

戦争反対

最近のニュースで思うことは、平和な世の中になってほしい、ということです。

同じ人間同士。争いからは、何も生まれません。奪い合えば、足りず憎しみ、分け合えば余り安らぐということわざもあったかと思います。なかなかむずかしいことかもしれませんが、お互い謙虚になって、少しだけ自己主張よりも、相手の立場になって考えてみれば、思いやりの心が生まれるので、私もゆとりの心を持ちたいと思います。同じ人間はいないので、考え方も十人十色ですね。でも、人類が生き残るためには、みんなのこころをひとつにしなければ、やはり難しいことになると思います。人間の英知で、よりよい未来が創造されることを期待したいと思います。今、人間の他者を思う心が試されているような気がします。ゆずりあい、助け合い、相手を思いやるゆとりの心こそ、愛のあるすばらしい人間のあるべき姿であり、人類みな兄弟になれるのではないでしょうか。目に見える大事に思えるものは、実は大事ではなく、目に見えないもの、やさしさや、愛のほうがずっと大事で大切だということを人間は、忘れてはならないのではないのでしょうか?