人生の意味

人生は、苦行である。生きていれば、誰しも悩みを持つのである。年を取れば、次第に、若い時とは、また別の悩みが、襲ってくる。それは、死への恐怖などの老化に対するマイナスな感情だ。私も、若い時は、自分を認識している自分とは、いったい誰でどこから来たのだろうというような、疑問を自問自答している、変わった小学生時代を経験している。それからしばらく月日が流れ、年を取ると、死というものが身近に感じられ、それに対する恐怖心にさいなまされる日々なのだ。それは、年を取る限り、消せるものではなく、次第に重くのしかかる重石のようである。人が、生まれるということは、奇跡だということは、出産を経験して、改めて思う。しかし、産んだ親が、子の幸せを思う気持ちに偽りのない事実だが、今の世の中、安心して子供を産み育てられるということが、本当に当たり前なのだろうか?私は、全くそうは思わない。女性は、若い時に、結婚して子供を産まなくてはならない。男性と違う生き物で、その為には、仕事などをあきらめなくてはいけなかったり、命がけであるにもかかわらず、産むのが当たり前と言われる。その後は、一生続く母親業で、専業主婦などは、人にもよるが、リスク以外の何物でもないと思う。年を取るということは、若い時の見た目とか肉体的にも劣ってくることであり、会社も家庭もそれらを重視する日本では、人間関係の悪化で、例え家族であっても容赦なく人の気持ちは変わりうるのである。お金がすべてではないが、仕事を犠牲にして、家庭に居場所を求めて専業主婦になれば、楽だと思っていてもそうはいかないのだ。専業主婦ほど大変な仕事はないとつくづく思う。というわけで、子供を産み育てることは、当たり前であって、あたりまえではない。それを当たり前に出来るのは、恵まれ人だと思うのは、私だけだろうか?子供を産んだとしても、母親が幸せを見出せなければ、その子供も、また幸せを見出すことはできないのだ。日本は、まだまだ、男尊女卑が、当たり前で、男女平等ではないと思うのは、私だけだろうか?

苦行ばかりの人生に、意味があるとすれば、幸せを感じられる心を持てるようになることこそが、もしかしたら、人生の意味なのかもしれない。